今日は自宅近くのベローチェで勉強していました。
私が勉強している隣では、オーエルさん3人が話をしていました。
3人ともよく話すんですが、おそらくはお互いの話を全く聞いていない感じ。
お互い、「○○に興味があって、…」「△△に行って、…」と話してはいるけれど、
そうやって話している自分が好き、みたいな。
これって、会話ではなくて、独り言を言ってるに過ぎないんですよね。
これに対して思い出したのは、別冊カドカワのスガシカオと桜井さんの対談。
スガシカオが、「桜井くんにほめられると、その言葉に説得力があるからうれしい」というようなことを言っていました。
例を挙げて説明していたのですが、完全に両者の間でイメージを共有している感じが見てとれました。
イメージの共有は、どちらか一方がもう一方の持つイメージを理解しようとしなければ成り立たないと思うけれど、普通は自分の言いたいことありきで、そこまで真摯に他者とコミュニケートしようとする人は少ない。
だからこそ、そういう人に出会えるとうれしいし、他者に対してそういう人であれたら、と思う。仕事でも、プライベートでも。
てか勉強しようよ。
私が勉強している隣では、オーエルさん3人が話をしていました。
3人ともよく話すんですが、おそらくはお互いの話を全く聞いていない感じ。
お互い、「○○に興味があって、…」「△△に行って、…」と話してはいるけれど、
そうやって話している自分が好き、みたいな。
これって、会話ではなくて、独り言を言ってるに過ぎないんですよね。
これに対して思い出したのは、別冊カドカワのスガシカオと桜井さんの対談。
スガシカオが、「桜井くんにほめられると、その言葉に説得力があるからうれしい」というようなことを言っていました。
例を挙げて説明していたのですが、完全に両者の間でイメージを共有している感じが見てとれました。
イメージの共有は、どちらか一方がもう一方の持つイメージを理解しようとしなければ成り立たないと思うけれど、普通は自分の言いたいことありきで、そこまで真摯に他者とコミュニケートしようとする人は少ない。
だからこそ、そういう人に出会えるとうれしいし、他者に対してそういう人であれたら、と思う。仕事でも、プライベートでも。
てか勉強しようよ。
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